職人こたきの紹介

国産天然・糸魚川翡翠にのみこだわって制作する匠

  こどもの頃から石や鉱物に興味があり、川や山に出掛けては、珍し い石や水晶などの鉱石を集めておりました。現在は兄の影響もあり、糸魚川翡翠工房こたきにて、糸魚川翡翠を多くの方に知ってもらい、また身に付ける事によ り、何か良い事に繋がれば幸いと存じます。宜しくお願い致します。

【プロフィール】 こたき(本名赤羽可行)

●山に出掛けては鉱物探しの子ども時代

生まれも育ちも、長野県・松本市です。

私が生まれた時から、家はで酪農を営んでおりまして、牛は家族同然でありました。
子供の頃から、2つ年下の弟と毎朝4時から牛の食事の世話等を日課に生活していました。

家族経営をしていたので、家族旅行には、ほとんど出掛けませんでした。50年前の農家は、どこも同じでした。
家業では自然と、牛の出産に立ち会う事もしばしばあり、その時に来る獣医さんに憧れ、将来は命の尊さを実感できる、獣医になりたいと考えていました。

小学生の頃は、好奇心旺盛のやんちゃ坊主で、川で流されそうになった人を助けた事もありました。人をまとめる事の得意な、村のガキ大将でした。
家の近所には鉱物に詳しい友達のお兄さんがいた事も影響し、山に出掛けては、鉱物探しをしていました。
又、近所の田畑には古代人の住居跡地があったため、黒曜 石の矢尻や土器がそのまま露出している場所があり、矢尻や土器を発掘して、石膏で繋いで復元したりして遊んでいました。

●中学時代に糸魚川で翡翠探しを始める

中学では、水彩や油絵等、絵を描く事が好きで、よくカンバスに向かっていました。
父が狩猟をしていた事もあり、一緒に山に出掛ける事が多く、自然と山に親しむ様になりました。
その頃から糸魚川にも出掛け、翡翠原石も採取しましたが、原石のまま持っておりましたので、その輝きには気付きませんでした。

●父が母に贈った翡翠の指輪

ある日、父が母に翡翠の指輪をプレゼントした事があり、磨き上げられた翡翠の輝きに驚き、初めて翡翠が宝石であり、価値のある物である事を知りまし た。
当時はすでに糸魚川翡翠は国の天然記念物に指定され、採掘が不可能であったため、少ない情報をたぐり寄せ、翡翠を少しずつ集めるようになりました。

●コレクションとして収集した糸魚川ヒスイを加工するようになる

その後、コレクションとして収集してきた糸魚川翡翠を、収集だけでなく加工してみたいと思い、加工を開始しました。
手作りのストラップやお守りを友人・知人に贈った所、大変喜んで頂き、好評を得ました。
やはり、日本人の根底には翡翠文化が流れているのだと考えるようになりました。

●縄文時代にさかのぼる翡翠文化、日本の宝石の原点

日本の翡翠文化は5000年前の縄文時代まで遡りますが、謎を多く残したまま、
奈良時代に忽然と姿を消してしまいます。その謎が私の心を動かしたのでしょうか?

「翡翠」は元々中国ではカワセミを表す言葉であり、翡翠の「翡」は赤い羽、「翠」は青い羽を指していると言われております。
「赤羽」の姓を持つ私が翡翠を扱う事に何か運命を感じております。

●日本の翡翠文明を世界に発信したい

長年収集してきた翡翠をただ死蔵してしまうのでなく、皆様に糸魚川翡翠の素晴らしさを広め、
少し大げさですが、マヤ文明・インカ文明に並ぶ、日本の翡翠文明を世界に発信する事が今の私の使命と考えております。

どうぞ宜しくお願い致します。