【移転】翡翠は日本の国石

国石とは、その国家を象徴する石のことを指します。
多くの国が自国で産出する宝石を国石として指定しております。日本は2016年9月24に日本鉱物科学会が「翡翠(ひすい輝石およびひすい輝石岩)」を国石として選定しました。
翡翠は日本の大地から生まれた特別な石です。鉱物学・自然科学的な観点だけでなく、文化・芸術面においても重要な意味を持っています。その知識を未来において広く共有することを目的として、「国石」認定が行われました。

「国石」選定の条件

1. 日本で広く知られている国産の美しい石であること

「美しさ」の判定は個人差があるので、基準を設定するのはとても難しいものです。その基準を古来より「宝石として扱われてきた石」という項目で石を選定しました。国内産で宝石として扱われてきた石は、トパーズ、オパール、そして翡翠です。この3つの中で、宝石としての質、これまでの産出量、現在の産出量を合わせて比較したところ、翡翠が他の2種を圧倒的に上回っていることから、翡翠は日本産の宝石の中で筆頭する位置にあることが認められました。

2. 鉱物科学や地球科学の分野はもちろん、他の分野でも
世界的な重要性を持つこと

地球科学分野においての重要性は、何といっても翡翠が日本のような沈み込み帯でのみ形成される岩石であることです。翡翠には「プレートテクトニクス宝石(plate tectonic jewelry)」という呼び名も存在します。日本が約5億年前に沈み込み帯であったことを証明する役割も担っています。糸魚川産の翡翠は、地球上で生成された最初の翡翠なのです。
他の分野での重要性は、考古学の側面です。糸魚川市の大角地遺跡から出土した石からは、約7000年前に人類が翡翠を利用していたことが明らかになっています。これは世界的に見ても最古の翡翠(ジェダイト)を利用した例です。縄文時代から約6000年間にわたっては、翡翠製の大珠・垂飾り・勾玉などが日本全国で普及し、権威の象徴として扱われました。

3. 長い時間、広い範囲にわたって日本人の生活に関わり、
利用されていること

世界最古の翡翠利用が確認されている縄文時代から、約1200年間は空白期間があることを加味しても、約7000年もの間、日本の至るところで翡翠は使われています。国内では約10数か所の産地が存在しますが、古代遺跡から出土する翡翠は全て糸魚川産ではないかと考えられています。糸魚川翡翠は古代日本で最も広く普及した宝石であり、その価値と美しさは現代でも変わらずに輝き続けています。

4. その石の産出が現在まで継続し、野外で見学できること

希少な地下資源は価値の高さが明らかになると、採掘が活発となり枯渇してしまうことがあります。しかし糸魚川翡翠は7000年前から利用され続けているにも関わらず、現在でも自然の中で産出が絶えていません。
国指定の天然記念物に指定されたことで、小滝川や青海川上流では巨大な翡翠の岩塊を見学でき、雄大な自然の美しさの中で翡翠が育まれているのを楽しむことができます。

ヒスイ峡での見学のようす
ヒスイ峡での見学のようす

5. 野外での見学が、法律による保護などによって持続可能であること

糸魚川市の小滝川と青海川周辺は、それぞれ天然記念物として指定され、文化財保護法によって野外での見学が未来に渡って保証されています。また、糸魚川周辺の自治体や団体が一体となり、糸魚川翡翠を保護し、文化を伝える活動に取り組んでいます。

翡翠のこれまでとこれからの未来

「翡翠」の語源は中国王朝・清の時代と言われています。
ミャンマー産の緑の石をカワセミの羽の色になぞらえて、「翡翠玉」と呼び表しました。欧米ではジェードと称されていますが、硬玉(ジェダイト)と軟玉(ネフライト)を総じて「ジェード(ヒスイ)」と考えられている場合が多く、鉱物学的にも全く違う2つの石が「翡翠」として混同されているのが現状です。
近年は宝石業界だけでなく、地球科学界、考古学界でも硬玉のみを「翡翠」と呼び表す動きが活発です。軟玉はネフライトと呼び、この2つを明確に区別するように働きかけています。
糸魚川翡翠は日本人のシンボルとして定められた国石であり、私たちの感性を目に見える形として表してくれる、貴重な石です。この貴重な石をどう守り、育て、伝えていくかはこれからの私たちにかかっています。